アンドロイドは雪解けの季節に涙を流すか

1章

 

Aが死んだ.26歳だった.

 

私が初めてAを認識したのは,大学の入学式で顔を見かけたときだった.雪解けの季節に,肌寒さを覚えながら地域の大きな市民ホールで行われた入学式で,私はホール中央の席に座っていて,3,4人挟んで左斜め前に居たのがAだった.その時,私はAを一方的に見ていた.肌は白く輝いていて,可愛げな目じりが私の心をとらえたことを今も鮮明に覚えている.

 次にAと再会したのは,それから2か月後の学際だった.長いメインストリートに出店が立ち並ぶ学際で,地域総出の学際である.学際は3日あり,それぞれの夜にメインストリートの掃除をボランティアが行う.そのボランティア活動中に,私はAと出会った.

 6月の夜は時々肌寒い.しかしその時,私の意識は空気に溶けて,心音以外のすべてが止まったようだった.「入学式で会いましたよね.」Aに言われた.「そ,そうですね.よく覚えていますね.」「覚えていますよ.あなたとお話したいと思っていたんです.」

 私はそれから,Aと色々なことを話して,今度ごはんに行くことになった.驚いたことに,Aは同郷の別の中学の出身だった.その1か月後に,Aと私は付き合うことになった.大学の学部は違ったけれど,それから重要な時をずっと過ごしてきた.3年生の夏休みにコペンハーゲンへ行った.立ち並ぶ多彩な家々,水路,綺麗だねと言い合って,いつかもっと綺麗なものを,オーロラなんか見てみたいねとか言い合って,手を繋ぎ合う.同じものを食べ,同じ景色を見て,同じ月を見て,同じところで眠りに落ちる.輝く星々に幸福を重ねながら,青い鳥が心に住まうのを感じながら,そして,突然にAが死んだ.

 

その日Aはいつものように仕事に出かけて行った.乾燥した夏の日,蜃気楼の見えるその日,Aはいつものように信号待ちをしている.おそらく今日の仕事内容や,帰りに立ち寄るスーパーで買う食材などを考えていたのだろう.Aの並ぶところに,時速100kmのバイクが突っ込んできたらしい.バイクの運転手は即死.Aはというと,意識不明で多臓器不全.その知らせを受けて,私は病院へ駆けつけた.しかしそこで見たのは,Aの静かなる死に様だった.それはあの日見た,綺麗な横顔,白く輝く綺麗な肌だった.ただし,下半身は覆い隠されていて,心拍音がまるでメトロノームのように一定のリズムを刻んで,それがやがて変化の無い,一定の音にかわっていった.

 白衣の男が無味乾燥とした時刻を私に告げる.記憶は無い,気づけば夜になっていた.夏も過ぎて秋が来た.冬も来た.雪解けの季節も来た.あの市民ホールへ行ってみた.Aはそこに居ない.そして,また夏が来た.季節は何度でもやってくるのに,過ぎていったAは二度と戻って来てくれない.代わりに,あの男がやってきた.

 私は有楽町の,駅から近いわりにレトロで都会の喧騒から逃れたカフェでアイスコーヒーを飲んでいた.そうして突然,黒いスーツを着た男が私の前に座った.

 

「あなたにご案内したい“未来”があります.」

「現世界秩序では,アンドロイドの製造は禁止されています.」

「しかし私がご提案する“未来”,“新世界秩序”では,アンドロイドの生誕と育成が正義の行いとして認められているのです.」

「貴方は,貴女は,大変に悲しいのでしょうね.愛したあの人に再び会いたいのでしょうね.」

「困惑しておられるでしょう.私の名刺を置いてゆきます.ご連絡をお待ちしております.」

 

「大変に美味しい,珈琲でした.ホットはもっと,美味しいでしょうね.」

 

 

2章へ続く